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結婚式の衣装で、純白のウェディングドレスは絶対に着たい!という花嫁さんも多いことと思いますが、考えてみたら日本の婚礼衣装は昔は和装だったはずですよね。
日本人はいつからウェディングドレスを着るようになったのでしょうか?
もうひとつ気になるのはウェディングドレスが白いこと。
今も昔もウェディングドレスの色と言えば白が定番です。
ウェディングドレスのはじまり
婚礼衣装のはじまりは実はとても古く、ギリシャ時代やローマ時代にはその起源が見えていたと言われています。
この頃の衣装も白っぽい清楚なものが多かったようです。
時が流れローマ時代になるとキリスト教の普及が進み、これにより結婚式が教会で行われるようになります。
ここで王族や貴族などの地位が高い花嫁が着ていた衣装が現代にも続くウェディングドレスの起源とされています。
ただ、中世の時代では喪服に白を用いていたため、ウェディングドレスはカラフルで鮮やかな色の絢爛豪華なものが多かったのだそうです。
人気のカラーは赤や緑!これらのカラードレスにさらに金銀のレースでゴージャスに縁取ることも流行していました。
豪華なウェディングドレスは花嫁の地位を表すものだった
ウェディングドレスを豪華にしたことにも理由があって、それは、花嫁の実家の地位が高くお金持ちであることを示すため。
とにかく華やかな見た目であることが重要だったんですね。
さらに時代が進んで16世紀。時は大航海時代でスペイン・ポルトガルなどのヨーロッパ勢が精力的に探検航海を行っていました。
この頃のウェディングドレスは黒を中心としたダークカラーのものが主流でした。
1900年の始まりにも黒いウェディングドレスが使われていましたが、19世紀の後半になると再び白いウェディングドレスが主流となり、これ以降のウェディングドレスは白が定番となっていきます。
ウェディングドレスはなぜ白い?どんな意味が?
ウェディングドレスの「白」という色に、純白、清楚、純真無垢などのイメージをお持ちの方は多いことと思います。
このイメージは当時から受け継がれるもので、白いドレスに身を包んだ女性は清楚な花嫁としての支持を得やすいものだったことから、ウェディングドレスには白が選ばれるようになったと言われています。
また、当時は男性上位の時代でしたから、白いウェディングドレスを着ることで「あなたの色に染まります」という意味合いもあったのだとか。
白という色には様々な意味で婚礼にぴったりの特別なイメージがあったんですね。
白いウェディングドレスを広めたヴィクトリア女王とは?
出展:ジョージ・ハイター, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
白いウェディングドレスを世に広めたのは、イギリスのヴィクトリア女王と言われています。
ヴィクトリア女王は1837年に18歳で即位した人物です。
当時のイギリスは産業革命が終わった頃で、国としてはどん底の時代でした。
産業革命では大量生産された綿製品を世界に輸出して、イギリスは「世界の工場」と呼ばれていたのですが、19世紀初めごろには産業革命そのものがヨーロッパ中に広まっていて、逆にイギリスの製品は売れ行きが下がってしまったのです。
イギリスの街には職にあぶれた失業者が溢れてしまっていました。
ヴィクトリア女王はそんな国を復興するために議会と協力して様々な改革を行いました。
彼女が行った政策のひとつが今にもつながる「王室御用達」です。
王室御用達と言われたら、なんだか良さそう!すごそう!と思いませんか?笑
現在の王室御用達は800種類程度なのですが、ヴィクトリア女王の時代には現在よりもはるかに多い2,000品ほどが定められていました。この政策によって、国民が国を誇りに思う気持ちや王室を敬う気持ちが培われてきているとも言われています。
純白のウェディングドレスで挙式を行ったヴィクトリア女王
ヴィクトリア女王は即位から3年後の20歳で結婚します。
このとき着用したのが真っ白なレースのウェディングドレスです。
出展:ジョージ・ハイター, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
このウェディングドレスのスタイルは、その後のイギリス王室の定番になり、たくさん女性の憧れのスタイルになりました。
この1940年のヴィクトリア女王の挙式こそが、現代女性も憧れる純白のウェディングドレスの始まりなのです。
ヴィクトリア女王の白いウェディングドレスは経済政策のためでもあった
実はヴィクトリア女王は、白いウェディングドレスをただイメージだけで選んだわけではありません。
この当時、最高級と言われていたのはフランス製のレース生地だったのですが、ヴィクトリア女王はあえてイギリス製レースを使用して、このレースが映えるような純白のウェディングドレスを制作したんです。
この戦略は大成功して、結婚式のあとイギリス製レースは大注目を集めることになりました。
衰退していたイギリス経済を救うために、自分自身の結婚式で上手に宣伝をしたんですね。
彼女は現代で考えるととんでもなく腕が良いインフルエンサー的な一面もあったのかもしれません。
結婚後のヴィクトリア女王は9人の子宝に恵まれます。
夫とヴィクトリア女王と子供たちの一家団欒を描いた肖像画がたくさん描かれ、イギリス中の家庭で飾られました。これにより、多くの子供たちに囲まれて幸せな家庭を築くことはヴィクトリア時代の道徳と価値観になりました。
ヴィクトリア女王の「戦う女王」としての一面
ヴィクトリア女王と議会が行った政策によってイギリス経済はしっかりと好転していきます。
現代の私たちにも純白のウェディングドレスに憧れる気持ちをしっかり植え付けたヴィクトリア女王ですが、彼女には「戦う女王」の一面もあり、戦争によって大英帝国を世界に拡大していきました。
出展:Edward Duncan, Public domain, via Wikimedia Commons
1840年~1842年のアヘン戦争、1856年~1860年のアロー戦争では、中国の秦に勝利して交易をアジアに拡大しました。続いて1853年~1856年のクリミア戦争ではロシアに勝利しています。
さらに、1857年に起こったインド大反乱を鎮圧して、ヴィクトリア女王は1877年にインド皇帝を兼任しました。
ヴィクトリア女王の時代、なんとイギリスは世界の陸地面積の20%以上と、人口の4分の1を支配していたのです。
多くの国々がイギリスの植民地政策に蹂躙されていたのと同じころ、1851年には世界初の万国博覧会をロンドンで開催して、大英帝国の栄華を世界に見せつけました。
ただ、ヴィクトリア女王が即位した19世紀には、王は「君臨すれども統治せず」の時代だったので、ヴィクトリア女王ひとりで舵を切って行った政策ではありません。
実際に戦争を始めることを決めるのは政府だったのですが、ヴィクトリア女王も始まった戦争には協力を惜しまず全面的にバックアップするようなところがありました。
彼女の好戦的な性格は日本にも関係していて、1862年に現在の横浜市鶴見区でおこった生麦事件を聞いたヴィクトリア女王は激怒することになります。
生麦事件はすぐに外交問題に発展してしまい、1863年に薩英戦争が起こりました。
白いウェディングドレスは想像以上の貴重品
話を白いウェディングドレスに戻しましょう。
中世ヨーロッパでは、白いウェディングドレスはとてもとても貴重なものでした。それには2つの理由があります。
ひとつは白さが美しい生地を量産することがまだまだ難しい時代だったから。
もうひとつは、白いウェディングドレスを白いまま維持するのはとても大変なことだから。
白い服って1回でも着用すると必ず汚れますよね!
現代日本ではウェディングドレスを着る機会はそう何度もありませんが、中世ヨーロッパでは貴重な白生地ですから、リメイクを重ねながら何度か着用することもありました。
ヴィクトリア女王も自身のウェディングドレスを他の式典などで着まわすことがあったくらいなので、当時どれだけ貴重品だったのかがわかります。
当然、デアドレスクリーニング工房のようなウェディングドレス専門のクリーニング屋さんもありませんし、白いウェディングドレスを純白の状態でキープするのはとても大変だったことから貴重品だったんですね。
やがて、白い生地の開発が進み、白いウェディングドレスを庶民でも仕立てることができる時代になってきます。
ここからヨーロッパ、アメリカなどに白いウェディングドレスの人気が一気に広まっていくことになります。
まとめ
ウェディングドレスが白いのは花嫁のイメージに「白」という色がふさわしいからで、白いウェディングドレスへの憧れを世界中に広めたのはイギリスのヴィクトリア女王ということがわかりました。
次回は、日本の婚礼衣装とウェディングドレスの移り変わりをご紹介します!
ご覧いただきましてありがとうございました。